混血の日本人は存在するか? ハーフの偏見報道を見て雑感

「日本人とは何か?」ということを考え始めると、延々と頭をグルグルグルグル回すことになる。以前も書いたように、日本人の血に対する熱い思いは、たぶんそう簡単になくならないのだろうな。

ハーフ偏見報道

こんなニュースがあった。

川崎中1殺害事件でも...秋元才加やざわちんが明かすフィリピンハーフへの偏見と差別(Livedoor News)

このニュースはこんな内容で締めくくられている。

 ヘフェリン氏も、ハーフの問題を考えるとき、「日本人とは何か」が問われていると指摘する。
「片方の親が日本人で、日本語も話せ、和食や浴衣が好きで、国籍が日本、というふうに『血』『日本語能力』『国籍』『心』の面で、『日本人であること』をクリアしていても、顔が欧米人のようだと、『容姿』の壁が立ちはだかり、いつまで経っても『日本人』だと認められない」

内容について、もう100%共感できるものだった。先日わたしが書いた記事(参考)と趣旨は同じだ。血が混じり、容姿が少し違うと日本人とは認めてもらえない苦悩が書かれている。言い換えれば「日本人として認めてほしいのに……」という苦悩であることは言うまでもない。

さて、同じLivedoor Newsで、こんな記事もあった。

小泉進次郎がハーフ美女と熱愛報道 事務所は「把握していない」(Livedoor News)

くだらない芸能ニュースなので内容には触れないが、タイトルだけ注目してほしい。ハーフであることに触れる必要あるのだろうか?(さらに言えば美女であることに触れる必要もないし、極論を言えば、熱愛報道自体いらないのだけど……)

これが差別だとまで言う気はない。悪意もないだろうし、別に悪意を感じない。だけど、本当にハーフを区別しない人だったら、たぶんハーフ美女とは書かなかったと思う。第一「ハーフ」という言葉は何も意味しないはずなのだ。どの国籍のハーフかも分からないし、片方が日本だとして、もう片方がアメリカなのか、ヨーロッパなのか、他のアジア諸国なのか、本当に血が大事なら、そこまで触れるべきだったろうに「ハーフ」としか書かないのは、やっぱりハーフが特別な響きを持つからなのだろう。

ハーフって何にも特別な意味を持たないですよ。

ハーフの人の話を聞くと(わたしも含め)、まず必ず何らかの偏見・差別に晒されています。そういうのを乗り越えちゃう人と、乗り越えられない人がいて、乗り越えちゃった人は、そういう偏見・差別に無頓着になっていく。

今「ハーフだからどーのこーの」とか言われても「はいはいそうですよ」とまったく無感情で答えられるが、たぶん乗り越えていない人は、こういうことに傷つくのです。

こういうのってどうすればいいんだろう……。じつは分からないでいます。

間違っても「ハーフって言葉をやめよう」とかそういうのは思わない。そんな問題じゃない。そんな後ろ向きでもない。

もっと前向きに考えたい。だから「日本人とは」とか「日本人らしさ」を考えたい。ハーフであろうが日本人らしくあることができる。それを見つけたい。混血の日本人という確固としたジャンルがあるはず。

それが当たり前の物となることが大事だと思う。

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