ほっしゃん。が言った『ジュエリーじゃんけん』から考える他人と比較する悲しさ

テレビの通販番組で、大玉の真珠のネックレスが売られていました。その魅力を語るのは《ほっしゃん。》。彼はその大玉の魅力を「ジュエリーじゃんけんしても勝てる」と表現しました。そんなジュエリーじゃんけんしてるから、みんな不幸になるんだ。

ジュエリーじゃんけん

説明の必要もないと思いますが、『ジュエリーじゃんけん』とは、他人より大きくて高価なジュエリーをしているかどうか、を脳内でジャッジする行為を表しています。

パーティーに行く。

人と会う。

「はじめましてー」とか言いながら、相手の服やアクセサリーをチェックし、自分が勝っていることを確認し、ひそかに微笑む。負けていたら心の中で舌打ちし、「どうせ旦那に貢がせてるんでしょ」とやはり馬鹿にする。

恐ろしやジュエリーじゃんけん。女性のみなさん、みんなやっているんでしょうか? 違うと信じたいですが、先日読んだ林真理子の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を見る限りでは、さもありなんというところ。

男だって少なからずあるはず

自分を顧みて、同じようなことをしてないか? と考えてみました。

そうすると、やっぱり少なからずあるんですよね。アクセサリーではないにせよ、時計や靴なんかを見てしまう。で、わたしはあんまりお金をかけないタイプなので、毎回のように「そんなことに金かけてもしかたないじゃん」と心の中で愚痴る。

悲しいですよね。「わたしはお金をかけないタイプ」と言い切っておきながら、お金をかけないことを言い訳してしまうんですから。

相手との比較に意味はない

相手と自分を持ち物や境遇で比較しても意味がありません。分かっているけどやってしまう。人間の性と言えばその通り。だけど、その人は好きだから高いものを身につけているだけ。あるいは買えるから買っただけ。その人の魅力となんら関係ないはず。

わたしは「自分がジュエリーじゃんけんをしている」と気が付いたときには、相手と自分ではなく、未来の自分といまの自分を比べるように意識しています。

未来の自分はそういうアクセサリーを身につけるだろうか? 未来の自分は何を着ているだろうか? 未来の自分は……、未来の自分は……。

そこに差があれば素直に「力不足」を認めて、精進する。そこに差がないのであれば、未来の自分も欲しがっていないわけで、欲しくもないものを羨ましがるのはナンセンス。

たとえば私の中の未来の自分は高級な時計をしていない。収入が増えても、生活が安定しても、極端に高い時計をしている自分が想像できない。それを確認すると「あ、本当は欲しがってないんだ」と気付くことができる。

一方で、ステキな書斎は欲しいと思う。ステキな筆記具は欲しいと思う。そういうのを持っている人がいたら、素直に羨ましがることにしています。

「いいなぁ」「いいなぁ」って。

本当に欲しいんだし、いまは手に入らないのだから、指くわえて羨ましがるのが正しい反応。そう思っています。

誰かと比較したくなったら、未来の自分と比較する。

ジュエリーじゃんけんをやるなら未来の自分と。

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