「おいしい」で乗り切ってはいけない本当の理由——言葉こそライフスタイルだから

何を食べても「おいしい」としか言わない人。何を見ても「かわいい」としか言わない人。それがすごくもったいないと思う理由をチベットやモンゴルのライフスタイルから考えてみます。

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「おいしい」を連発すること

何を食べても「おいしい」としか言えない人っていますよね。

どうおいしいのか語ってもいいんですよ。

「香ばしい」とか「食感がいいね」とか「香りがいい」とか、おいしいには理由があるはずだから。

「かわいい」もそうです。どうかわいいのか語ってあげてください。

「ヤバい」なんてかなりヤバいですね。どうヤバいのかまったく分かりません。

言葉を正しく使おう、というおやじくさい話ではない

こういうことを書くと、おやじくさい説教に見えてくるかもしれません。

今日は少し違う角度から「おいしい」を連発する危険ともったいなさを語りたいと思います。

たとえばチベットの言葉

いま渡辺一枝さんの「消されゆくチベット」を読んでいます。

この本の中で「チベットでは羊の糞と馬の糞では呼び名が違う」という記述があります。ほかにも、ヤクという牛に毛が生えたような動物がいるのですが、野性と家畜のヤクは呼び名が異なったり、日本の出世魚のように家畜も成長に応じて呼び名が変わります。

チベットでは家畜が生活の中心にあり、家畜を抜きにして生活を考えることができません。

一方で、氷の国に住むイヌイットは「雪」の呼び名が多数あると言われています。またアザラシの呼び名も複数あるとか。言うまでもなく、彼らの生活の中で雪やアザラシが身近にあり、重要だったというわけです。

モンゴルと言えば馬。調べてみると、やはり馬に対する呼び名が多い。

日本でもそうです。出世魚という考え方があるのは、日本人にとって魚が大切だから。

愛にも種類がある

どの言語でも、その国の人が大切にしているものは丁寧に言葉をあてています。

たとえば「愛」

熱愛——心の底から愛すること。また,愛し合うこと。
渇愛——のどがかわいた人が激しく水を求めるような激しい愛着。
寵愛——上の人が下の者を非常にかわいがること。

(すべて大辞林より)

ほんの一部ですが、どれも意味が違います。同じ愛でも、いろんな愛があるわけです。

語彙は興味があるところに増えていく

興味があれば語彙も増えていきます。電車が大好きな人はきっと電車に関する言葉をたくさん知っていることでしょう。

もし食べ物に興味があれば、食べ物に関する語彙が増えていくはず。増えていないとしたら、食べ物に対する興味はきっとその程度なのでしょう。

料理が好きな人はやっぱり食べ物に関する語彙が豊富です。

「あれ? ちょっと出汁が薄いかな」
「魚の臭みが強いから、生姜で消そう」

一方で、食べ物に興味がない人は「おいしい」「おいしくない」でおわり。

考え方を逆転してみる

《興味があれば語彙が増える》と書きましたが、逆の発想もあると思います。

《語彙が増えていけば、興味も湧いてくる》というわけです。

もし食べ物に興味が湧いてきたなら、意識していろんな言葉を使ってみればいい。

「これはしょっぱいな」「甘さがちょうどいいな」「香りがいいな」

ただの「おいしい」に比べてずっといい。これに慣れてくると、もっと語彙は増えていくはず。

「魚介の出汁がいい香り」「椎茸の香りがいいんだな」「フワッと味噌が香るね」

ってな具合。食べ物がグッと楽しくなる。

言葉はライフスタイル

ここまで読んでくれた人は分かると思いますが、言葉はライフスタイルを反映します。

チベット人が家畜を現す言葉が豊富なのも、イヌイットが雪を現す言葉が豊富なのも、モンゴル人が馬を現す言葉が豊富なのも、それが彼らのライフスタイルだから。

あなたが愛に生きる人なら愛を現す言葉を、食べ物に生きる人なら食べ物を現す言葉を磨くと、周りの人も「この人は愛に、食べ物に、興味があるんだな」と理解してくれるというわけです。

たとえばあなたの恋人や配偶者を褒めるとき「かわいい」「かっこいい」しか言わないとしたら、ちょっともったいない、と思いませんか?

どうかわいいのか? どうかっこいいのか? ちょっと付け加えるだけで、相手に伝わる「本気度」が違ってきますよ。

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