信頼は動詞だ——本当の自由は自分の意思で決めていく行為の中にある

信頼とか、愛情とか、友情とか、自然に生まれてくるもの、どこかから降ってくるもだと思っていませんか? すべて自分が意識して決めることですからね。自分に甘い考えしていると、馬鹿を見ますよ。

「あの人が信頼できなくなった」という言葉の怖さ

「なんかさぁ、あの一件で、あの人を信頼できなくなっちゃったよね」

なんて、よく聞きますね。ほかにも

「すいません、用事が入ったんで、明日行けなくなっちゃいました」

ってのもまったく同じで、大問題。共通点、わかりますか?

甘え、他人のせい、自分がかわいい

どちらも「他人のせい」にしているんです。

  • 何か出来事があって、信頼できなくなっちゃった。
  • 予定が入ったから、行けなくなっちゃった。

「しょうがないでしょ?」っていう甘えです。自分じゃない何かのせいで、起きたことだから、誰にも口出しできない、と思っているんです。自分が悪いんじゃないよ、という甘い感情が込められています。

何を子どもみたいなことを、と思ってしまうんですよね。

すべて自分で決める覚悟

自分の感情、自分の言動、すべて自分で決めることです。

何があってもその人を信頼するのか。それとも、その人を信頼しない、と自分が決めたのか。はっきりさせましょうよ。他人のせいにする癖を抜かないと、自由に生きられないです。

明日の用事に行けなくなったのも「用事が入っちゃったから」なんて言い訳せずに、自分が明日の用事に行かないことにした、とはっきりしましょうよ。その新しく入った用事と、元々の用事を比較して、新しく入った用事を優先したンですから、あたかも「仕方がない」という風に言ってみてもダメなんです。

自由とは自分で決めること

自由って聞くと、好きなときに好きなことをやれる、みたいに捉えている人もいますが、ちょっと違う。自分のことを自分で決めた、という実感を持っていることが自由なんだと思います。

たとえば……

「田舎暮らしがしたいけど、東京に仕事があるから無理なんだ……」

という人はきっと不自由でしょう。一方で、

「田舎暮らしもいいけど、今は東京でやってるこの仕事を優先させたいんだ」

という人は自由です。同じ境遇、同じ場所に住み、同じ田舎暮らしのことを話していても、前者は仕事のせいにしていて、後者は自分の決心として捉えている。

「死ぬほど忙しい仕事で、毎日残業ばかりだけど、自分で望んでやってるんだ」と思えている人は時間がなくても自由な人生を生きているし、ただ空き時間がないことを嘆けば不自由になる。

わたしたちが世界一周したというと「いいなぁ、自分は子どもがいるから無理だよ」って言う人がいる。まぁ、これは雑談として言ってくれているんだと思うけど……。でも、もし本当にそう思っているならかわいそうだ。だって、子ども連れで世界一周している人もいますからね。本当にやりたいならやればいい。

ほかにもやれない理由から語り始める人が多いこと多いこと……

「仕事があるから、自分は世界一周できない」 → やめればいいじゃん

「貯金がないから、自分は世界一周できない」 → スポンサー企業探せばいいじゃん

本当にやりたいなら、絶対に方法がある。なにかできないとき、それを他人のせいにしちゃいけない。

別にやりたくないなら、無理して他人のせいにしないで「楽しそうだけど、おれはいいや」って言えばいいのに。

信頼の話に戻って

信頼も同じです。その人を信頼する、と決めたら何が起きても信頼することってできます。「あの人のこと信頼できなくなっちゃった」なんて甘えた言い方はやめた方がいい。信頼したいなら、「あんなことがあったけど、わたしは信頼するよ」と言い切ればいい。

あなたは歩きますか? 走りますか? という質問と同じです。

あなたは信頼しますか? 信頼しませんか?

自分で、能動的にきめること。動詞なんです。

それが本当の自由です。

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