“住めば都” の本当の意味は「住んでみたらいいところ」ではない

最近、箱根に移住してきて、住んでいる場所への感覚について考えるようになりました。住めば都の “都” とは、いつから都なのか? いつになれば “地元感” が生まれてくるのか? 辞書を引いてもピンとこないから考えました。


「住めば都」の意味

この「住めば都」という言葉の辞書的な意味はこうです。

どんな所でも住み慣れればそこが最も住みよく思われるものだ。
大辞林より

わたしはこれが絶対間違っている——とまでは言いませんが、ずいぶん気の抜けた意味だな、とは思っています。

箱根でのこと

最近、縁あって箱根に越してきました。近所のスーパーも把握し、ゴミを出す曜日も頭に入ってきて、どうにか生活ができあがってきたところ。

「住めば都」の言葉の通りであれば、そろそろこの場所が “都” になってくれなければいけない時期です。

ところがいつまでたっても “都” にならない。

“住み慣れる” と “都” の間にはまだ大きな溝があるのだと気付きました。

妻と最近よく話すのは「地元感」というやつ。住んでいる場所を “地元” と呼べるようになるのはいつなのだろうか? “地元” と感じるようになるのはいつなのだろうか? という話題。

いつですか?

長く住んだら地元ですか? でもわたしは中野に2年住んでも地元とは思えなかったし、そこを去った今、薄っぺらい懐かしさはあっても、郷愁の思いはありません。

あそこは2年住んでも地元にはならなかった、というわけです。

“地元感” は覚悟

住んだ長さでないならば、なにが “地元感” を生み出すか?

覚悟ですよ。覚悟。

「ここにずーっと住んでやる」という覚悟。その腹が据わっているのであれば、すぐにでも “地元感” は湧いてくる。それがないなら、何年住んでも湧いちゃこないってわけです。

わたしにとっての中野は何年住んでも仮住まいという意識のままだった。だから覚悟が生まれない。移住してきた箱根も一時的なものなので、やっぱりずーっと住むという覚悟はない。そうするといつまでたっても、“地元感” は生まれてこないわけです。

覚悟があったらどうなるか?

覚悟があると何が変わるか? 精神論ではないんです。人間覚悟があれば、行動が生まれてくる。

  • 近所の人との交流を意識する
  • その土地をよく知りたいと思う
  • その土地を良くしたいと思う

というわけです。その土地にずっと住むんであれば、近所の人と交流し、その土地のことを良く理解し、さらに良くしたいと思うようになるはずです。

仮住まいだと思っていると、別にそんなこと思わないんですね。

で、近所の人と交流し、土地のことをよく知り、その土地を良くしたいと思うようになると、愛着が湧く。愛着が湧くと、離れがたい気持ちになり、“都” になるんです。

都ってのは「慣れたら」できあがるものではなく、「覚悟し、行動すること」でできあがるものなわけです。

具体的に何をすればいいか?

で、“地元感” にせよ “都” にせよ、具体的に何をすればいいか?

例えば近所との交流をしてみましょうよ。

隣近所に誰が住んでいるか知っていますか? その人達にちゃんと挨拶して、顔見知りになることから始めましょう。一気に居心地良くなります。たとえば妻のブログの記事

ご近所挨拶どうしよう、カステラ作ってみよう!

ここにあるように、近所の人にカステラを持って挨拶に行きました。それだけで居心地は良くなり、不安が減り、都に近付いた感覚が湧きます。

他にも

  • 地元の清掃に参加する
  • 地域の歴史を読んでみる
  • 地元の植物を知る

など、もともとのあなたの興味に合わせて、その土地と触れ合ってみるといいと思います。

都は行動が作る

だから最初に書いたとおり「慣れれば都」というのは、ちょっと安易で、気が抜けていると思うのです。

都は行動が作る。もし今住んでいる土地が都に思えないなら、それはあなたが行動できていないからですよ。自然と住んでいる土地が都になるなんて、甘えです。

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