雑誌の魅力は瞬間を切り取った “刹那” のおもしろさ

更新され続けるウェブのおもしろさは否定しないが、印刷されたらそれっきり更新できない雑誌の魅力も捨てがたいものがある。むしろネットが普及した今、雑誌を以下に尖らせていくかがキーだと思うのだ。

世界の雑誌市場は作り替えられようとしている

「雑誌の売り上げが低迷している」
「世界で若者が新しい雑誌を作り出している」

この2つの事実が同時に起きているのだからおもしろい。そしてもどちらも事実なのだろう。

この矛盾にも見える2つの事実は、簡単に説明することができる。前者は大手出版社の言葉。後者は個人(あるいはそれに近い小さなチーム)のこと。まったく違う目的の2つの雑誌の話題が混ざっているのだ。

大手出版社にとって雑誌というのは、ある程度まとまった数、例えば1万部ぐらいが売れることでなり立つビジネスモデルになっている。それが5000部になり、3000部になれば、当然「売上が低迷」と悲観的ニュースになる。

しかし個人の立場で考えれば、自主制作の雑誌が、3000部どころか、もし300部も売れたならば、それはそれは「おもしろい遊び」になるのは容易に想像できる。

300部で喜ぶ個人と、3000部でも嘆く大手の感覚の違いだ。

このブログでは何度も書いている多様性がもたらす現象だ。人の好みが多様化して、みんながみんな、同じ雑誌を読む時代ではなくなってきた。むしろ小さなチームが出版する「尖った」雑誌をおもしろいと思う人が増えてきた。そういう状況から、大手雑誌が苦しくなったというわけだ。

でもなぜ雑誌なのか?

趣味嗜好が多様化しているのはわかる。しかしなぜ若者が雑誌を作るのだろう? ネットネイティブなんて言われる世代なのだから、オンラインマガジンとか、ブログとか、ネットで「尖った」情報発信をすればいい。コストも下げられるし、読む方も気楽に読める。

うまくやれば雑誌を出版するより多くの人に読んでもらえる。

なにしろ雑誌は300部印刷すれば、300人にしか読んで貰えない。ウェブならそれが無限大だ。

ウェブの強みとは何か?

発信者側から見れば “継続的に更新できる” ことが挙げられる。ブログがまさにそうだ。毎日毎日、その日の意見を発信できる。『ブログ』というのは「完成することがないメディアである」と言える。一生更新し続けられるのだから。

一方で雑誌は印刷した時点で、もう更新はできない。

時代が変わっても、雑誌に載せられた言葉や写真はそのまま残る。

古い雑誌を見ると、「その雑誌が書かれたときは、そういう時代だったんだ」と言いたくなるようなことがたくさん書かれている。

下の写真は私の生まれ年の雑誌だ。自分が生まれた年が、どんな年だったのか、少しでも知ろうと買ったものだ。

この雑誌を1冊買うことで、その時代を知ることができる。

雑誌というのは「その時代をあるテーマで切り取った作品である」と言っても良さそうだ。

ファッション誌ならファッションという切り口で、文芸誌ならば、文芸という切り口で、その時代を写真のように残したもの。

それを作りたいと思う感覚は極めて普通のアーティスト感覚・クリエイター感覚だと思う。

世界の新しい雑誌を紹介する雑誌

“QUOTATION”という雑誌がある。「世界のクリエイティブジャーナル誌」と銘打たれた雑誌だ。

そのNo21が、「新しいスタイルの世界の雑誌」という特集号だった。

「世界の」というくらいで、世界中の尖った雑誌が紹介されている。商業誌にはできないような、鋭いコンセプトの雑誌も多い。

Music+Foodで「Mood」なんて雑誌があるが、これもかなりの感性がなければ作れない雑誌だろうと想像できる。しかし音楽と食べ物が好きならば(みんな好きでしょう?)、たまらない内容になり得る。

ネットも良いけど、紙もいい

ネットの更新されているおもしろさを否定する気は全くない。むしろ楽しんでいるし、これからも楽しむ。しかし同時に変わらない物の良さ、紙媒体の良さを突き詰めていく時代になったのだと思う。

うまく融合した、新しいメディアを作り出せれば、どれだけおもしろいだろう、と少しワクワクしている。

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