《芸術の見方》絵心のない私が絵画を楽しめるのは、それを「刺激」として利用しているから

絵画なんて見ていても退屈とか、どう楽しんでいいか分からないという人が多いと思う。絵心皆無の私でも、美術館で絵を見るのは嫌いではなく、むしろ楽しんでいる。その楽しみ方をご紹介したい。絵心がある人とはまた違った楽しみ方をしているのかもしれない。

美術館が嫌いじゃない

大の美術館好きとは言わないまでも、決して嫌いじゃない。

上野に行けば「美術館でも行くか」という気持ちになるし、行けばそれなりに楽しむ。

記事のタイトルに「絵画」と書いたが、この記事で書こうとしている「絵画の楽しみ方」は「音楽の楽しみ方」でもあり、「彫刻の楽しみ方」や「小説の楽しみ方」でもある。

つまり芸術一般を楽しみ方法として、わたしが良しとしているテクニックであり、心構えだ。

説明をシンプルにするため、ここでは「絵画」を対象に書くが、絵画という言葉を音楽・彫刻・小説など、好きな芸術分野に置き換えればいい。

なお、言うまでもなく私は芸術的素養のある人間ではない。あくまで一般人としての楽しみ方だ。ましてや笑ってしまうくらい絵心がない。そんな私でも楽しめるのだから、絵画の力は強いとは思う。

絵画の楽しみ方

実は凄く簡単なことで、ひと言で説明するなら「絵を楽しむのをやめる」のだ。

絵の構図とか、色使いとか、線とか、そんなものは専門家に考えさせればいい。わたしは絵画を「ただの刺激」だと捉えている。だから刺激を受け、その受けた刺激をエネルギーに、妄想・想像・雑念を生み出す。そして、あわよくば自分の創造性として活かす。

絵を見ていて、関係のないことが頭に浮かぶことがないだろうか? 「そういや、この前の映画おもしろかったな」とか……。そんなとき「いや、それよりも絵を楽しまないと」などと、浮かんできた雑念を振り払って、“無理をして” 絵を理解しようとしていないだろうか?

絵を理解することを辞めて、刺激として楽しむ方法を4つのポイントに分けて解説する。

1. 美術館のチケットは時間を買ったのだと理解する

美術館のチケットを「絵を見る権利」だと思っていると、どうしても絵を理解しようとしてしまう。チケットはあくまで妄想・想像・雑念を浮かべる自由な時間を買ったのだと理解しよう。

時間だけなら、カフェや公園でもいいが、美術館には “刺激” として機能する絵が並んでいるのだから、たまらない。

2. 無理して全部を見ようとしない

絵を理解するわけではないので、全部見る必要などない。フラフラとのんびり歩き、気になったときに立ち止まればいい。

「気になった」とは「絵の美しさ」などである必要はない。歩いていて「あ、そういえば」と妄想・想像・雑念が浮かんだら、その絵の前で立ち止まって、しっかり妄想に身を任せればいい。

3. 理解しようとすることをやめる

何度も繰り返すが、絵を理解しない。パッと見て、脳は絵から刺激を受ける。受けた刺激から、脳は想像力を膨らませて、一見関係ないかもしれない妄想や想像に走る。それに身をゆだねればいい。

画家ならともかく、絵心のない私が絵を理解することなど不可能だ。しかし刺激は受けられる。

その刺激に身をゆだねればいい。

4. 気持ちがあっちこっちに行くのを許す

絵を見ていると、あっちこっちに気持ちが飛んでいく。同じ1枚の絵を見ているだけで

「そういや、先輩に読めって言われた本があるけど、どうしてあの本を薦めるんだろう?」
「あ、それよりも、次に書く小説は親子の葛藤を書きたいな」
「昨日食べた蕎麦、なんであんなにうまいんだろう?」

など、気持ちがふわりふわりと飛んでいく。それに身を任せよう。不思議なもので、どこかに着陸する。着陸したら、ジーッとそのことを考える。深める。練る。

刺激を受けるというやつだ

わたしの場合、小説を書くのが好きだから、絵を見ていても小説のことを考えることが多い。

絵を見てなくても、普段から小説のことを考えているのだが、絵を見ているときは、何も見ていないときとは違うことが思い浮かぶ。

「こんなのこと普段思いつかないのに」というアイディアが浮かんでくる。

恐らく自分の中の深いところにある感情や思いやアイディアが、絵から受けた刺激によって浮かび上がってくるのだと思う。

わたしは絵画を見るとき、絵画そのものではなく、この浮かび上がってくる “何か” と向き合うようにしている。

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