創作活動では「たくさん作ること」よりも「良いものを作る」という苦しみの方が大事

どんな創作活動であれ、「たくさん作る」ということはやはり大事なこと。それ自体は否定しないが、「たくさん作る」ことに囚われると、もっと重要な「良いものを作る」という意識を遠ざける危険性がある。生みの苦しみがないのなら、そこに成長はないのだ。

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毎日ブログを更新するのは難しくない

たとえばブログを例に挙げてみる。ブログの世界では「毎日書くことが大切」と言われることが多い。わたしもその通りだと思う。

毎日書くことで

  • 書くことが習慣になり、
  • ネタ探しのアンテナの感度が高まり、
  • 書くのが速くなる。

これらの3つの要素「習慣化」「感度」「速さ」が高まればこっちのもので、もう毎日更新はなんら難しくなくなる。

毎日更新=良い記事を書くには繋がらない

さて、習慣化し、感度が高まり、書くのが速くなったら「良い記事を書ける」のだろうか?

。とわたしは思う。

あくまで「良い記事を書くための土台ができた」というだけだ。

自分が書きたいジャンルに対する感度が高まり、速く書けることは、凄く重要だが、それ自体が「良い記事」と直結しない。むしろ、その変な「慣れ」のせいで、くだらない記事を垂れ流している可能性さえある。だとすればむしろ逆効果だ。

いくら毎日更新していても、メッセージのない、魂のこもっていない、「だから何?」と言われかねない記事ばかりでは意味がない。

生みの苦しみがないところに成長はない

ブログに限らず、小説、音楽、絵画など、いかなるジャンルであれ、そこに「生みの苦しみ」がなければ、絶対に成長はない。

ブログ記事ならば

「この記事が提供する新しい価値とはなんなのか?」とか
「自分の言いたいことが最大限に研ぎ澄まされているか?」とか
「こんな記事、誰が読みたいんだ?」とか

自分の記事を冷たい目で評価する目と、それに負けじと改善していく執筆者としての意地みたいなものを両方持っていなければならない。

わたしは《原稿用紙1枚の物語》という、400字程度の短編小説を1日1編公開する連載を続けているが、誤解を恐れず言うならば、「書くのは慣れた」という境地にいる。書くだけなら、1日1編考えることは簡単だ、とさえ言える。

しかしこの「慣れた」という感覚に寄りかかると、非常に危険だと思っていて、先ほど書いたように「そこに新しい価値はあるのか?」「この作品で何か新しい挑戦をしているのか?」と自問することを自分に課している。

自分なりに新しい書き方、新しいジャンル、新しい表現手法を考え、実験する。生みの苦しみがないならばやっていても意味がないのだ。

“クリエイティブ” であるということ

先日《原稿用紙1枚の物語》『撮り続けた父さんの最高傑作』のあとがきでも触れたが、「クリエイティブな人」と言われてみなさんはどんな人を思い浮かべるだろうか?

「クリエイティブ=創造的」を辞書で引いてみると

それまでにはなかった新しいものを作り出していく力があるさま。
大辞林(創造的)

つまり「日々、何かを作っている人」ではなく「日々、新しい何かを作っている人」であるということだ。

「たくさん作る、毎日作る」ということは「良いものを作るための筋トレ」みたいなものだ。必要なことではあるが、筋トレをしたからといって、サッカーや野球がうまくなるわけではない。良いものを作るためには、良いものを作ることを目標にしなければならない。当たり前のことだ。

このことを肝に銘じて、日々の創作活動に励みたい。

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