「時間がない」
世界一たくさん聞く言い訳です。仕事が長引いて時間がない。家事に追われて時間がない。急な飲み会で時間がない。そしてこの言い訳のあとにはもうひとつ続く言葉があります。
「だから○○ができない」
大人が「自分勝手」になれる時間は朝しかありません。それもみんなが活動を始める前の “朝” です。
わたしも「時間がない」ときがあった
小説を書きたいと思ったとき、わたしは会社員でした。
いろんな意味で平均的な会社だったと思います。。給料も平均くらい。労働時間も平均だし、“急な飲み会”とか “付き合い” の量も平均くらい。
もちろん日本的な意味での平均です。
「小説を書く時間がない」
とわたしは結構本気で悩みました。本気で書きたいと思っているのに、書ける時間がない。それでも早く帰れた日は一生懸命キーボードを叩いたし、遅く帰ったときも少しは叩くように意識していました。
しかし、小説を書くというのは長期戦です。短編ならともかく長編だと数ヶ月かかることも少なくありません。
そして、数日かけない日が続くと調子が狂います。
「あれ? このキャラクターってどんな口調だっけ?」
「どんな服を着てたっけ?」
「次にどんな展開を考えていたっけ」
たった3日も書かない日が続けば、そんな苦戦を強いられます。
会社員をやっていると、3日くらい簡単に「時間がない」状況に陥るもです。
自分でコントロールできない要因が多すぎる
あるときふと、「どうして時間がないのか?」と論理的に考えることにしました。自分の時間を奪っているものを見つけて、自分でコントロールしようと思ったわけです。
結構シンプルな結論に至りました。
わたしの時間を奪うものの多くは自分ではコントロールできないものばかりである、ということです。そのころは会社員として生きていくつもりでもいたので、キャリアも意識していましたし、「仕事なんかテキトーにやればいい」とも考えていませんでした。
だから「意地でも早く帰る」みたいな発想はどうしてもできなかったのです。まぁ、このあたりもある意味で日本人的なのかもしれません。今思えば「意地でも早く帰る」というのは悪いことでもないですし、そうすればよかったのかもしれませんが、それにしたって、帰れない日はあるものです。
自分でコントロールできる唯一の時間
で、時間について考えていて、行き着いた至極当然の結論は “朝を活用しよう” というものでした。
朝型か夜型は置いておいて、大人が自分でコントロールできる時間って朝しかないと思います。会社員かどうかも関係ありません。急な電話、急な仕事、急な家事、急な子どもの世話、急な……。そういうものがない(あるいは少ない)唯一の時間が朝なのです。
朝、ある時間までは誰にも邪魔されないものです。たとえばひとり暮らしの人ならば、出勤時間まではあなたのものでしょうし、家族がいるならば家族が起きてくる時間まではあなたのものです。
仕事が飛び込んでくることも、飲み会になることもない。
唯一の障害は「起きられるかどうか?」にかかっています。
あなたが起きれば自由に過ごせる時間になるし、起きれなければ寝て終わる時間です。あなた次第です。
早起きすることが簡単だとは思いませんが、少なくとも「起きられれば自由に使える時間である」ことはたしかです。
気付いたら楽になった
わたしはそのことに気付いた日から、早起きを始めました。
3~4時には起きて、ジョギングしてから、執筆。朝ごはんも食べながら執筆、で7時に出勤。
それだけで優に2~3時間の執筆時間が確保できました。
毎日2~3時間も書く時間があるというのは幸せなことですよ。
とはいえ、結構つらくもありましたけどね。